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皇后美智子  皇后美智子 
皇后美智子 
)は、今上天皇の皇后。 | Kōgō Michiko (皇后美智子) is the wife and consort of Emperor Akihito, the current monarch of Japan.
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皇后美智子

JPN:

 

皇后美智子(こうごう みちこ、1934年(昭和9年)10月20日 - )は、今上天皇の皇后。前姓・正田(しょうだ)。身位は皇后。皇室典範に定める敬称は陛下。お印は白樺(しらかば)。日本赤十字社名誉総裁、国際児童図書評議会名誉総裁。

 

1934年(昭和9年)10月20日、日清製粉勤務の正田英三郎・冨美(1981年(昭和56年)に富美子と改名した)夫妻の長女として東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)・東京帝国大学医学部附属病院で誕生。

 

1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚、明治以降初めての民間出身の皇太子妃となる。同日の成婚パレードには、沿道に53万人もの市民が集まり、皇太子および同妃を熱烈に祝福した。

 

1969年(昭和44年)4月18日、第一女子紀宮清子内親王誕生。苦労の多い美智子妃にとって、唯一の娘である紀宮の存在は大きな心の支えとなったとされる。1977年(昭和52年)から10年間は、毎年2人で陵墓・史跡訪問を含む小旅行を行なっていた。

 

1989年(昭和64年)1月7日、明仁親王の即位に伴い皇后になる。即位後の記者会見においては、皇太子となり東宮仮御所にて独立する徳仁親王について「時たまでよろしいから、ヴィオラを聴かせにいらしてくださると、うれしいと思います」とのコメントを発している。

 

1998年(平成10年)、インドで開催された「国際児童図書評議会 (IBBY)」に際してビデオによる講演を行い、日本武尊の妃弟橘比売の吾妻における入水の物語などを引いて、成婚以来の胸中を語った。2002年(平成14年)、スイスで開催されたIBBY50周年記念大会に、IBBY名誉総裁として出席し祝辞を述べた。これが唯一の単独での海外公務となっている。

 

2005年(平成17年)10月20日、 清子内親王降嫁前の記者会見では子供たちに対する思いを語り、徳仁親王が優しく、よく励ましの言葉をかけてくれたこと、文仁親王が細心な心配りを忘れない 一方で自分が真実を見失わないようにも注意していたということ、清子内親王誕生の折には曇りなき晴天に朝から吉兆を感じたこと、清子内親王のおおらかでの どかな性格などを回想しつつ語った。婚礼の朝には、民間へ降嫁する愛娘を気遣い、抱きしめて励ましたという。

 

しかしながら、2008年(平成20年)で皇后も74歳の高齢となり、健康上の理由から公務軽減が検討されている。特に膝を痛めることが多く、2009年(平成21年)春の園遊会では、本来ならば洋装のところ和服を着用し、足を隠した。

 

2011年(平成23年)3月30日、 天皇とともに、東日本大震災の被災者約290人が避難している東京武道館(東京・足立区)を訪問し、膝をつきながら、一人一人を親しく激励した。

 

ソース

 

 

ENG:

 

Empress Michiko (皇后美智子 Kōgō Michiko), née Michiko Shōda (正田美智子 Shōda Michiko, born 20 October 1934) is the wife and consort of Emperor Akihito, the current monarch of Japan. She was the first commoner to marry into the Japanese Imperial Family. As crown princess and later as empress, she has become the most visible and widely travelled imperial consort in Japanese history.

 

Empress Michiko was born in Tokyo, the eldest daughter of Hidesaburo Shōda (1904–1999), president and later honorary chairman of Nisshin Flour Milling Company, and his wife, Fumiko Soejima (1910–1988). She attended Futaba Elementary School in Tokyo, but was obliged to leave during the fourth grade because of the American bombing during World War II. She returned to school after the war ended and attended the Seishin (Sacred Heart) junior high school and High School in Tokyo.

 

In August 1957, she met then-Crown Prince Akihito on a tennis court at Karuizawa. The Imperial Household Council (a body composed of the Prime Minister of Japan, the presiding officers of the two houses of the Diet of Japan, or Parliament, the Chief Justice of Japan, and two members of the Imperial Family) formally approved the engagement of the Crown Prince to Michiko Shōda on 27 November 1958. Although the future Crown Princess was the daughter of a wealthy industrialist, she was a commoner. During the 1950s, the media and most persons familiar with the Japanese monarchy had assumed the powerful Imperial Household Agency (Kunaicho) would select a bride for Crown Prince Akihito from among the daughters of the former court nobility (Kazoku) or from one of the former branches of the Imperial Family. Some traditionalists opposed the engagement, as she comes from a Catholic family, and it was widely rumored that Empress Kōjun also was against her son's engagement.

 

  • 20 October 1934 – 10 April 1959: Miss Michiko Shōda
  • 10 April 1959 – 7 January 1989: Her Imperial Highness The Crown Princess of Japan
  • 7 January 1989 – present: Her Imperial Majesty The Empress of Japan

 

source

19th November 08

updated: 2013-04-12

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