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小野寺五典  小野寺五典 
小野寺五典 
防衛大臣現在、日本の自民党のメンバー。 | The current Minister of Defence, and a member of the Liberal Democratic Party of Japan.
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小野寺五典

JPN:

 

小野寺 五典(おのでら いつのり、1960年5月5日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、防衛大臣(第12代)、自由民主党宮城県連会長。

外務大臣政務官(第3次小泉内閣)、外務副大臣(安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長等を歴任した。

 

来歴

宮城県気仙沼市生まれ。「五典」という名前は、5月5日の午前5時に生まれたこと、実父の名前に「典」がついていたことに由来する。気仙沼市長を務めた小野寺信雄は岳父。宮城県気仙沼高等学校、東京水産大学水産学部海洋環境工学科(現在の東京海洋大学海洋科学部)卒業。大学卒業後の1983年(昭和58年)には宮城県に就職、水産資源の研究に携わった。1990年(平成2年)に退職し、松下政経塾に入塾(11期生)。

 

1993年(平成5年)に東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了、その後は東北福祉大学専任講師を経て1996年には同助教授に就任。

 

1997年(平成9年)、衆議院宮城県第6区で菊池福治郎の公職選挙法違反による辞任を受けて補欠選挙が行われ、小野寺は自由民主党公認で立候補して当選したが、選挙区内の有権者に線香セットを配ったことが公職選挙法が禁止する「寄付行為」に当たるとして、仙台地方検察庁に書類送検され、2000年(平成12年)に議員辞職した(小野寺の辞職により、宮城県第6区では衆議院史上初の“補選の補選”が行われることとなった)。記者会見で小野寺は、「不勉強ゆえの軽率な行動を反省している」と述べている。本件で小野寺は略式命令による罰金40万円の有罪判決を受け、公民権が3年間停止された。

 

議員辞職後、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所客員研究員を経て、学校法人増子学園(東北福祉情報専門学校)理事長、及び東北福祉大学特任講師に就任した。この間に、東北放送ラジオの番組にコメンテーターとして出演していたことがある。

 

公民権停止が解除された2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙において自由民主党の公認を受けて宮城6区から再び立候補して当選、衆議院議員に復帰した。

 

2005年の第44回衆議院議員総選挙では、社会民主党公認の菅野哲雄を宮城6区で破り、 3度目の当選(菅野も比例復活当選)。選挙後に組閣された第3次小泉内閣において外務大臣政務官に就任。2007年7月、安倍改造内閣において外務副大臣に任命され、同年9月発足の福田康夫内閣でも再任された。同年10月8日にイランで発生した邦人誘拐事件においては、外務省緊急対策本部長を務めた。

 

2009年(平成21年)に実施された 第45回衆議院議員総選挙では、菅野哲雄を5万票以上の大差で破り、菅野の比例復活も阻止した。一方、所属政党の自由民主党はこの選挙で大敗、小野寺は宮城県内6つの小選挙区において唯一の自由民主党衆議院議員となった。再選後、自民党宮城県連の会長に就任した。

 

同年に行われた2009年自由民主党総裁選挙では一時立候補に向けた準備を行ったものの、最終的には立候補を断念した。この総裁選挙で小野寺は、「党再生のためには中堅・若手が存在感を示し、古い体制を壊して創り直すべき」として、自身が所属する党内派閥・古賀派の谷垣禎一ではなく、麻生派の河野太郎に投票している。翌年10月に設置された自由民主党シャドウ・キャビネットでは、「影の外務大臣」に就任。

2010年(平成22年)に発生した尖閣諸島問題では、グーグルマップにおいて尖閣諸島の魚釣島について中国側呼称(釣魚群島、釣魚島)が併記され、あたかも中国とのあいだに領有権問題が存在するかの如くになっていると主張。Googleの日本法人を訪れて中国側表記の削除を要求した。

 

2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、気仙沼市をはじめとする地元選挙区も津波被害を受け、小野寺の実家や自宅も全壊した。

 

2012年、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、宮城6区で5選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で防衛大臣に任命され、初入閣した。

 

ソース

 

 

ENG:

 

Itsunori Onodera (小野寺 五典 Onodera Itsunori, born 5 May 1960) is a Japanese politician of the Liberal Democratic Party and a member of the House of Representatives in the Diet (national legislature).

 

A native of Kesennuma, Miyagi, Onodera was born on 5 May 1960. He received a bachelor's degree from Tokyo University of Fisheries in 1983. He entered Matsushita Institute of Government and Management in 1990. Then he studied politics at the University of Tokyo. He graduated from both and obtained his master's degree in political science in 1993.

 

Onodera joined the government of Miyagi Prefecture in April 1983. He worked at Tohoku Fukushi University as special lecturer, assistant professor and guest professor from April 1994 to January 1998. He was elected to the House of Representatives for the first time in December 1997 from Miyagi Prefecture No. 6, but resigned in 2000. In October 2002, he became an associate professor at Tohoku Fukushi University. However, he ran for the house in 2003 and was re-elected. He served as parliamentary secretary for foreign affairs for two times from 2004 to 2005. He served at and chaired different committees regarding foreign affairs, and was the head of the LDP's foreign affairs division. He was appointed senior vice-minister for foreign affairs in August 2007.

 

Shinzō Abe named Itsunori Onodera defense minister on 26 December 2012.

 

source

2013-04-19

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